2020.02.02 Sunday
父との思い出
今年に入ってすぐ、肺癌で闘病中だった父が亡くなりました。
年末年始の準備やお正月営業もあり、明日は3週間ぶりのお休み〜!って思ってたウキウキの月曜日に父の容体が急変したと妹から電話がありました。
父は妹の電話を横取りするかのように元気な声で冗談を言ってたので、まだ大丈夫だと油断していました。
岡山まで帰らなくてはいけないけれど、3週間ぶりに朝寝したいと意地でもベッドから起きないでいると、父が自分の携帯から電話をかけてきました。
昨日より元気のない声で、顔が見たいから来てと。
急いで起きてしばらく帰って来られないかもしれないと自宅や店の段取りを済ませて夕方の新幹線で岡山に向かいました。
到着したときには呼吸がとても苦しそうでしたが、私の顔を見た父は涙を流しとても喜んでくれました。
医師から麻酔をすすめられていたそうですが、新潟の娘が来るまでは麻酔は使わないと拒んでいたそうです。
その夜は私が付き添い、背中を撫でたり手を握ったり。
当たり前かもしれませんが、父にそんなことするのは始めてです。
沢山の孫達も集まり、賑やかなことが大好きな父は苦しいながらもとても嬉しそうです。
皆を見回しながら、冗談を言って喋りたそうに。
結局麻酔を使わないまま、翌日の深夜に息を引き取りました。
子沢山の貧乏な家庭でお酒を飲んでは暴れる人でしたが、真面目で、母をこよなく愛し、子煩悩な父のことを悪くいう人はいませんでした。
父は昔から私の言うことは聞いてくれました。
暴れる父を諭したり慰めたりするのが私の役目になっていたくらい。
なぜ私の言うことはきいてくれたのか、姉妹たちも不思議でした。
昨日ふと思い出したのですが、私のすぐしたの妹が生まれたとき、私はまだ2歳にもなっていませんでした。
母が出産のため自宅を留守にするとき、私の世話を父の母、つまり私の祖母が遠くから来て見てくれました。
その頃の私はどこにでも歩いて行ってしまうので、大きな下駄をはかされていたそうです。
大きな下駄を履いた小さな子が祖母の真似をして後ろ手に歩く姿をよく笑ったものだと母から聞いたことがあります。
あまりにも小さかったことと母がいなかった寂しさのせいか、祖母との思い出は断片的で寂しさを伴っています。
体の弱かった祖母が来てくれたのはその時だけだったと思いますが、父にとって貴重な時間だったのかもしれません。
私は母に似ていると甥っ子達に言われますが、きっと祖母にも似ていたのかもしれません。
父を亡くしたことに自分でも意外なほどダメージを受けていることに驚いています。
でも、あれから3週間が過ぎ、ようやく心身とも日常にもどりました。
やらなければならないことがあるってありがたいですね。
お店をやってて本当に良かったと思います。
最後になりましたが、お店を予告なく急にお休みしたことで大変なご迷惑をおかけいたしました。
深くお詫び申し上げます。
火葬場にいた猫
動物好きの父がみたら「あらあら、あなたどこの子〜」ってきっと話しかけてたはず。笑